石川啄木 はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る『一握の砂』

石川啄木(いしかわたくぼく、1886年 - 1912年)のこの歌は歌集では、以下のように3行書きで表記された。はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る石川啄木『一握の砂』 (働けど働けどなお我が暮らし楽にならざりじっと手を見る) 《歌…

2011年6月号 会員2欄

春鮒の三白眼に見抜かれたような気がして歩みをとめる革命を夢見し男のふるまえる有機農法きゅうりの苦味早口に死者を数えるキャスターはつゆためらわず大台を超ゆ配達のバイクに曳かれゆくごとくバスは傾いで右折していくガンバローと言う彼の息饐えていて…

『家出のすすめ』 寺山修司

ネットでは、家出人用の掲示板があって、そこでは家出した少女らが、宿と食事を提供してくれる相手を求めるメッセージを書き込んでいる。家出少女を受け入れるのは、たいてい男で、「神」と呼ばれる。現代における家出の理由は様々だろうが、家庭が崩壊して…

寺山修司 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 『寺山修司歌集』

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや《歌意》マッチに火を点けると、火に照らされて海に霧が深く立ち込めている情景が浮かび上がる。私が命を捧げて守るに値するほどの祖国はあるのか。《解説》 場所は波止場、時間は夜に近い夕暮れだ…

2011年5月号 会員2欄

三枚の羽持つ風車ゆっくりと遠い海辺に発電をするにぎり飯ほおばる昼の指先に餌の磯蚯蚓(いそめ)の残香を嗅ぐ豚のデス・マスクの見あげるその先の空高く銀の米軍機往くラーゲリを生き延びし祖父をふるさとは赤き教授と呼びて疎みつ床ずれに薬を塗られて祖…

2011年4月号 会員2欄

階段の螺旋の先へくだりゆく懐かしき闇の奥の方へと母の踏むミシンを遠く聴いていたあの果てしなく降る雪の夜に爪先はモデラートからアレグロへ加速していくペダルの上を見上げれば真っ直ぐに昇る心地する雪のひた降る空に向かいて節分の翌朝窓を開けやれば…

2011年3月号 会員2欄

自転車の倒れるまでの一瞬を僕らは息を詰めて見つめる天使舞い降りるがごとくいくすじの陽は差す冬の大黒ふ頭にインシュリン注射の針の冷えびえと父が肌えの粟立ちておりつまずいて着物の裾をひるがえし女歩めり夕の銀座に祈るごとケータイ掲げる群れにいて…

2011年2月号 会員2欄

欠詠。 (12月の締切りが通常よりも前倒しされることをうっかり忘れていた)

2011年1月号 会員2欄

しゃぼん玉くだけるときの冷たさを頬に受ければ七色の風 *1夕暮れのメリーゴーラウンド浮き沈む永久に届かぬことばを乗せて水槽の中のマグロを観るように紫煙を吐きだす男らをみる鉄橋の真下に立ちて眼閉じれば我が身の内を列車抜けゆく粉薬まきしごとくに黒…

石川啄木 東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる 『一握の砂』

東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる石川啄木『一握の砂』《歌意》 東海(とうかい)の小島(こじま)に小さな磯(いそ)がある。その磯の中にある砂地に腰をおろして、私は泣きながら蟹(かに)とたわむれている。《解説》 磯には、黒っぽ…

短歌人10月号、11月号、12月号

2010年12月号 会員2欄秋空にスカイツリーの輝けばどこまで行っても逃れられない知らぬまにベンチに手すりが生えていていつもの彼の姿は見えず捨てられしガラクタばかりが美しき影をひろげる夕立ちののちビルとビルの谷間に残る一軒家 黄昏どきにカレーは香る…

短歌人7月号、8月号、9月号

2010年9月号 会員2欄砂にまみれ二つの穴の穿たれし丸太の姿の鯔(ぼら)のころがる眠れざる床に聞こゆる風鈴の音のようよう高くなるらし夏風にみどりわななく森の奥へ無人のカートぞ走り去りける *1橋の下に鳴るサックスを振り切って自転車をこぐ独りになり…

短歌人2010年4月号、5月号、6月号

2010年6月号 会員2欄 油の膜に包まれて立つ動輪は光を放ち微動だにせず幼子らたちまち黙す 春風を切り裂き昇る汽笛の叫び果てしなく反復される律動の逞しさもてさらわれていく朝もやにまどろむ亜細亜の田園を駆け抜けにけり黒き近代石炭の淡き移り香漂いぬ …

短歌人2010年2月号、3月号

2010年3月号 会員2欄 プルトップ引き抜いた指にまざまざと鍬形虫の角もいだ夏身震いし雫を切れば窓の外 窓拭きの男うす笑いする一日の仕事を終えてラーメンと牛丼の香る駅に降り立つ飛び散った檸檬の酸はゆっくりと蝕んでいくワイシャツの襟を眠れない夜ひと…

このブログについて

短歌人に投稿した詠草や短歌の鑑賞、歌集・歌書の書評などを書いていく予定